何日か前のことをぼんやり思い出した
- 打ち合わせのため、はてなの最寄り駅、中目黒駅から東横線に乗る
- 中吊り広告で雑誌最新号の目次をなんとなく眺める。サミットは成功だったんだろうか。
- 渋谷駅で降りる
- ranKingranQueenのランキングにまた変動がある。駅周辺での看板が一新されている
- 歩く
- 途中でケータイのメルマガ広告が届く。格安ツアーのお知らせ。当面予定はないな。
- サブウェイでセサミのBLTサンドを頼みつつ、フリーペーパーになんとなく目をやる
- タウンワークがある。景気はどうなったんだろう。この辺の時給は下がり始めているんだろうか
- ノートPCをあけてYahoo!トップにアクセス
- 「ブランドパネル」広告でコンタクトレンズの宣伝を見る。そういえば使い捨てレンズを買い足さなきゃ。
生まれ育ったときから考えると信じられないぐらい情報がある。飛び込んでくる。それを勝手に処理するようになっている自分に気づく。無意識のうちにできるもんだ。
シリコンバレーに行ったとき、道の広さ、空間の広さ、夜の暗さと寂しさに驚き、そして懐かしさを感じた。生まれ育った九州のまちの田んぼを思い出したからだ、あれがもっとスケールアップしたようなものだ。インターネットは世界を繋ぐ扉というけど、ここでは大事な大事な命綱なんだと思った。
翻って東京
ここは広告クラッターが世界有数に激しいと思う。
- 居住地域面積あたりの広告費投入量
- 居住地域面積あたりの店舗数
- リビングルームの面積に対するテレビやPCモニターのディスプレイサイズの大きさ
- テレビ・ラジオの平均視聴/聴取時間あたりの広告スポンサー数
を調べたら、相当混雑してるんじゃないだろうか。
日本と海外を対比したり、都会と地方を対比した広告クラッターの研究はないのかな。
広告効果を語るに於いて
これまでの経験に加えて、メディア毎の滞在時間の違いや態様の違いを参考に一生懸命考える。ただどうも、広告クラッターの視点が入らないと現実味が付け加わらない気がしてならない。日本とアメリカの都会、日本とアメリカの地方をそれぞれ比較するとだいぶ見通しが良くなると思うんだが。
追記
ちょっと違う角度で、情報誌ビジネスにおけるユーザー行動の変化について書きました。